「言葉」とは「行動に責任を持つ人から発せられたとき」に重みを持つ

「言葉」とは「行動に責任を持つ人から発せられたとき」に重みを持つ

引き続き
都知事の記者会見を見ていて

「言葉とはなんと虚しいものか」
と感じました。

「厳しい」「公正な」「しっかりと」

連発されるそれらの言葉。
言葉としては存在するけれど
輪郭ははっきりせず
ただただ虚しい。

言葉が重みを持つのは
それらが
「自分の行動に責任を持つ人」
から発せられたとき。

そうでなければ
言葉とはただ空中に拡散されるだけなのです。

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