ジャズバイオリンレッスンの日々
ジャズバイオリンレッスンの日々
【記録】ばぁばのジャズバイオリンレッスンの日々
今日はジャズバイオリンのレッスンでした。
先生はジャズバイオリニスト三井大生さん
運命的に先生のブログにたどり着き、
レッスンを受け始めてちょうど一年です。
厳しいレッスンですが、
毎回貴重なアドバイス、練習方法
そして哲学を
頂いて帰っています。
長い間バイオリンを弾いていると
自己流でいろんな癖がついていることに
なかなか気づくことができません。
音程が安定しないことの原因に
楽器の持ち方
左腕の肘の角度
1の指(人差し指)の力不足で他の指がつられてしまうこと
などの教えを受けて
本当に楽に弾けるようになったと思います。
特に音程のことは
この年齢になると、
人から指摘されることはほとんどありませんから。
そしてリズム
ジャズの譜面は簡単ですが、
スイングの仕方はそこには書いてありません。
最初は
「とても無理」
と思いましたが、頑張って道半ばまでやってきました。
ここで終点、ということはありません。
始めた頃はどうしてもうまく行かず、
胃が痛くなったりしましたが
今では新しい課題が出ると
まだまだやることが山ほどあることに
ファイトが湧いてくるのです。
厳しいけれどやめられない!
だってできなかったことが
できるようになっていくのが
自分でわかるのですから!
ジャズバイオリンのレッスンで
バッキングを教わりました。
(バッキングとはソロの後ろで弾く伴奏みたいなもの。)
その名も
「ウクレレ弾き」
バイオリンはメロディを弾くことがほとんどで
他の楽器のソロの時にはほぼ休んでいます。
私の場合
手持ち無沙汰なので
何か少し弾いてみたり
楽器の背中を叩いてみたりしていますが
ほぼ役に立っていません。
特にギターと二人の場合は
ギターソロの間、黙って立っているのは
なんだか居心地が悪くて
なんとかしたいと思っていました。
そんなとき
レッスンで、バイオリンをウクレレのように持って
簡単なコードを弾くバッキングを教わりました。
ポイントは右手
バイオリンにもピチカートという奏法があって
楽器は普通に持ったまま
弦を右の人差し指ではじいて音を出します。
「ウクレレ弾き」の場合は
楽器を横にしてウクレレのように持って
右手人差し指の爪の面を弦に当てて音を出します。
指の腹を使うよりも固い音が出て
リズム感が出るように思います。
これはいい!
リズムを取るってこんなにも楽しいことだったのか!
気づくと2時間くらい弾いていました。
早速明日の演奏でこっそりやってみよう。
クラシックのバイオリンは
ビブラートをしっかりかけて
音が途切れないように気をつけて
弾くように訓練しています。
以前
ジャズバイオリンのレッスンで
ハワイアンを弾く課題がありました。
とにかく力を抜く
ビブラートを最初からかけない
あるいはまったくかけない
いい気持ちで弾く
最初はとても難しく
どうしても朗々と弾いてしまって
ハワイアンのあの
ゆったりのびのびした感じが
全く出ませんでした。
先生のお手本を何度も聴いて
自分の演奏を録音、お手本と比べて練習するうち
ふっと
「これはテクニックだけではなくて気持ちの問題だ」
と思いました。
とにかく
ハワイの海辺でゆったりと寝転び
風が気持ちよく吹いてきて
波の音が静かに聞こえてくる・・・
という情景を想像してみると
身体の力が抜けていきました。
力を抜くと音がかすれたりしますが
気にしない。
まずそういう気分になることが大事
「なぜハワイアン?」と最初は思いましたが
力を抜く練習だったのね。
それが今こんなに役に立っているとは・・
ハワイアン大好きになりました。
「歌えないことは楽器では弾けないよ」
アドリブについて
先輩たちによく言われました。
そして
ジャズバイオリンのレッスン
私のアドリブがどうもつまらない?
「一度楽器を置いて歌ってみて」
と先生に言われました。
先生のバッキングで
歌うと
鼻歌だけれど
なんだかどんどん歌える!
それも楽しい!!
先生が
「ご機嫌だね〜
じゃ今度は楽器持って
指だけ押さえて歌ってみて」
楽器を持ち
指で指板を押さえながら歌うと
やっぱりダメだ。
「おかしいなあ
歌うとちゃんとスイングするし
フレーズも出てくるのに。。。
そうか
中村さんの頭には
今まで蓄えてきたフレーズはあるのに
それが指に伝わらないんだね。
脳が弾きたいことを弾いてるのではなく
指が弾きたい事を優先している。
指に脳が支配されています。
その主従関係をひっくり返してください!」
先生すごい!
でも
どうしたらいいのでしょう?
「意識を変える事です!」
うーん、やっぱりわからないです。
「じゃあ
短いフレーズを歌ってから
それを弾いてみて。
そのとき何の音だったのかをちゃんと確認してね」
これならできるはず!
これは希望のもてる出来事でした。
今までやってきたことが
少なくとも
頭の中にはあることがわかったんです!
今まで必死でやってきた
フレーズ練習
耳コピ
そして聴きまくること
無駄ではなかった!
ただ
「それがうまく楽器に伝えられないのだ」
ということが
わかりました。
レッスンに行くと
必ず
その時々の課題を的確に指摘されました。
そしてそれに取り組めば
一歩進むことがもうわかっているので
課題が見つかると
「やった!」
と心が躍りました。
でも
この歌いながら弾くことの難しさは
半端ではありません。
だって
長年バイオリンを弾いてきて
譜面の音符を見た瞬間に
指がその場所を押さえることはできても
譜面にはないフレーズを
一瞬で記憶から取り出し
その音を指で押さえるのは至難の業。
そして気づいた事があります。
「バイオリンを弾きながら歌う」
のではなく
「歌いながらバイオリンを弾く」
ということ。
バイオリンが先にくると
どうしても指が先に動いてしまう。
歌う事に集中していると
指がついてくる
というのが理想です。
「歌いながら弾く練習をしています。」
と言う話をすると
ピアニストの友人もギタリストの友人も
「それそれ!・・・でも難しいよね。」
と言います。
「つい手癖で弾いてしまって、
A7と言うコードを見れば
どの曲でもそれを弾いてしまう。」
と。
やはりフレーズをどんなに覚えても
メロディーが頭に入っていないと
どれも同じようなアドリブになってしまったり
そもそも何の曲だかさっぱりわからない、
という状態になってしまいます。
まるで
フレーズという積み木を積んでいるようで
いったい何を作っているの?
ということになりかねません。
でもこれだけは確か。
今まで聴いて来たものは
記憶の引き出しに入っているのです。
それがわかっただけでもとても嬉しい。
曲を繰り返し聴いても
そして
フレーズ練習をどんなにしても
それがリンクされないから
思うように弾けないのです。
そしてもう一つ大事なことは
楽器がちゃんと弾けるということ。
ジャズバイオリンを習い始めたとき
最初の半年は厳しいほどの音程の矯正でした。
ジャズバイオリン習いに来たのに音程?
と思いましたが
脳と指がリンクされたときに
音程がきちんと取れるようにしておくことは
今思えば本当に大事な事でした。
ここから先が長いのでしょう。
鼻歌のクオリティーにも課題が山積みでしょう。
でも
しばらくは歌いながらの演奏を楽しむ事にします。
レッスンの前日は
「ああ、行きたくないなあ」
と憂鬱な気分になります。
思い出します、子どもの頃。
朝起きて歯磨きをしながら
「ああ、次に歯磨きするのは
学校から帰ってレッスンに行ってご飯を食べてから。
なんて長い一日なんだ。。。」
とうんざりしていたものです。
何度もバイオリンをやめたいと言ってみても
やめさせてもらえなかった子どもの頃。
今はやめたいと思えば
いつでもやめることができます。
でも続けるのは成果があることがわかったから。
なんとなくうまく弾けているような気になり
良い気分でいるときほど
厳しいレッスンが待っています。
自分の実力のなさを思い知らされ
ぺしゃんこになって帰ってくる。
何度も何度も同じ事を言われてもまた忘れ。。。
そんなことを繰り返しながら
一年半がたちました。
課題がなくなることはまずないでしょう。
それでも少しずつできることが増えて行く。
その嬉しさがあれば
レッスンは続ける事ができるのではないかと思います。
これは大人も子どもも同じこと。
子どもがお稽古をやめたくなる気持ちは本当によくわかります。
しばらくお休みするのも一つの道です。
でも
どんな小さなことでもいい
できないことが出来るようになる。
その嬉しさ楽しさを体験させてあげると
きっとそのお稽古は続くことでしょう。
とはいえ
レッスンに行く前の憂鬱な気分をなくすには
私の場合、
たっぷり練習することしか解決方法はないようです。
これは大人の習い事についてですが、
厳しいレッスンは憂鬱です。
優しい先生のレッスンはきっと
人気があって楽しいのでしょう。
「上手ですね。いいですね。」
と褒められれば嬉しいけれど
それで果たしていいのだろうか?
自分の演奏を客観的に判断してもらうことは
本当に貴重です。
例えば
「音程が悪いです」とは誰も言ってくれません。
どんなに親しい友人でも
言われればちょっと嫌な気分になります。
その為に先生につくのです。
先生になら
「音程が悪い」と言われても
誰も文句は言いません。
できていないところを指摘してもらい
どうしたらいいかの教えを請う。
かのタイガー・ウッズにもコーチがいます。
どんなに素晴らしいプレイヤーも自分のことは
すべてわからないのです。
大人になってからのレッスン
もう弾けるのだからと思わず
受けてみる価値は大きいと思います。
今回のジャズバイオリンのレッスンは
先生と4バースで延々と演奏するというもの。
先生のフレーズのモチーフを引き取って弾いたり
途中で私のアドリブの改善策を指摘してもらったり
前回までは憂鬱の連続だったレッスンでしたが
今回は楽しかった!
ほぼ一年半の間
①メトロノームを使ったリズムとスイングの練習
②音程の矯正(カイザー、クロイツェル)
③ミディアムスイング、アップテンポスイング、バラードの
3曲を完コピ(音だけでなくニュアンスまですべて)
④ハワイアンで力を抜く練習
⑤バッキング
⑥フレーズの研究
などをしてきました。
先生曰く
「やっと本格的な実践レッスンになりましたね。」
これからが正念場です。
子どもの頃のレッスンというのは
楽器の持ち方から始まって
音程、運指、弓の運び方まで
先生の言う通りきちんと練習していれば
そのうち上達するものでした。
対して大人のレッスン
もちろんテクニックを習うという意味も大きいですが
もう一つ
大人になると
周りの人は厳しい事は言ってくれなくなります。
「音程が悪い」
「リズムが悪い」
などは人にはなかなか言えないし
言われたくもないものです。
唯一
「先生」
だけは別
指摘されて落ち込むけれども有り難いと思えます。
他人には言いにくい事
自分では気づかない事
うすうす気づいていても認めたくない事
それを言ってもらう為に
お月謝を払っているといっても
いいかもしれません。
それほど
大人になってしまうと
人から色々言われたくないのです。
言われたくないけれど
上達もしたい。
でもどこをどうしていいのか
今ひとつわからない。
そんなときに
はっきりと指摘してくれる先生は
本当に有り難いです。
先生に言われてもまだ
認めたくないことも私も多々あります。
でも
言われることをしぶしぶながら
繰り返しやっているうちに
成果が必ず現れてくることがわかりました。
最近では何か指摘されると
「やった!課題ができた!これでまた一段上れるぞ!」
と密かに喜ぶ、というところまでやってきました。
とはいえ
厳しいレッスンはやはり気がすすまないものです。
課題を終えていないときは
ますます足が重くなります。
でもそこは大人のレッスンのいいところ。
先生は宿題をやっていないことはとがめません。
「ちょっと忙しくてできませんでした。」
で済んでしまいます。
指摘された事を
子ども時代のように
怒られながらやるのではなく
自分でなんとかクリアーしていかなければ
先生はそれ以上は言ってくれない。
そこがまた大人レッスンの厳しいところでもあります。
ジャズバイオリンのレッスンで
アドリブソロを書くという練習をしています。
2〜3コーラスのソロ譜面を書いて行くのですが
私は
少し書いてはウロチョロ
少し書いては洗濯を干し
翌日も同じように
書いては休み、、、
ということをしながら
一応書き上げて
先生に見てもらいました。
「うーん、そつなく書けてるけど
盛り上がりに欠けるから退屈なソロになっちゃったね。」
と先生。
「一気に書いた方がいいんですか?」
と私。
「!!もちろんですよ!!!
少しずつ書いていては
全体の勢いや積極性が欠けてしまいますよ」
「細かいところは後で埋め込めばいいから
もっと全体のおおまかな情景を先に考えて
書いた方がいいですよ」
と言われました。
そうだったのか。。。
8小節ごとに細切れに考えたフレーズは
ただ積み木を重ねただけで
全体像は特徴のない立体になっただけだったのです。
宿題だからやらなければ。。。とか
時間があるときにやろう。。。とか
その心持ちが如実に現れてしまった
ちょっと恥ずかしいレッスンでした。
その手直しと新たな曲のソロを書く宿題が出ました。
「どうせ直されるからっていう前提のソロは書かないでね。
100パーセント自身あります!っていうソロ書いてきてね!」
とこれまた心を見透かされ
反省した一日でした。
今年初めてのジャズバイオリンレッスン
アドリブソロを書いて行くという宿題を
先生に見てもらいました。
盛り上がりがない単調なソロに仕上がったので
「この2小節を早いフレーズにして盛り上げましょう」
ということになりました。
私の苦手な
Gb(ソのフラット)のコードです。
しばらく考えても思いつかず
次第に頭は真っ白に。。。
シーンとしたスタジをの中
何も生み出せない時間が過ぎて行きました。
「先生、家でやってきます」
と助けを求めましたが
「いや、ここでやりましょう」
さらに真っ白な時間が過ぎて行きます。
「先生、勘弁してください」
と白旗を上げる私に先生が言いました。
「中村さん
なんとかこの場から逃げたいと思っているでしょう?(笑)
自宅で好きなだけ時間をかけてやるのではなくて
『今この場所で』
『このレッスン時間内に』
『先生の見ている前で』
というプレッシャーの中でやるといういう良い訓練ですから
今やりましょう」
はい・・・
「音楽をやっていれば
プレッシャーの中で演奏すること多いですよね。
家でならできます、練習の時はできました、
では困ります。」
はい・・・
「特にジャズはそれでは楽しくないですよね。
乗り越えるのはその向こう側にこんなに楽しい事がある!
とわかっているからみんな頑張るんです。
中村さん自身もよくわかってるでしょう?」
「乗り越えましょう!
家ではこれだけソロが書けるのに今できないのは
『苦手なGbだ、先生の見てる前で短時間にやれなんて無理!』
と最初から思い込んでるからで
他のコードと同じです。何も難しくないですよ。」
ということで
次回の曲は
「Stella by Starlight」
とても綺麗な曲なのに
転調を繰り返すこの曲には苦手意識が満載です。
「苦手克服プログラム」
今年はこれかな。
娘が嫁ぎ
部屋が空いたので
ここぞとばかりに私の練習室に。。。
小さなキーボードを買ったのですが
これが大正解!
キーボードで音を確認しながら
宿題のアドリブソロをこねくり回して
消しては書き、書いては消し・・・
先生には
「一気に書き上げて」と言われたものの
フレーズの手持ちが少ないので
YouTubeを聞いたり
フレーズ集を開いてみたり
あっという間に時間がたってしまいます。
でもレッスンを受けて宿題が出なければ
絶対にやらなかったであろう作業です。
適当にパラパラと弾いて
いつまでたっても苦手な曲は苦手のままで。
「もう一滴も絞り出せない」
頭が真っ白になって途方に暮れますが
それもまた「いと楽し」
ということなのでしょう。
そうやって書いたアドリブ
もちろんそれで私のアドリブとして完成なのですが
もっとかっこ良くするために
先生のアドバイスを貰う。
「いと楽し」
アドリブを書くという練習もずいぶん慣れてきました。
最初はうんうん唸って何時間考えても
うまくまとまらず
五線紙が破れるほど
消しゴムで消しては書き
書いては消し・・
そして持って行った宿題は
いろいろ指摘を受けたあと
「うーん。もう一回書いて来てね」
また一からやり直しです。
今でももちろん時間はかかるけれど
産みの苦しみは以前ほどでもなく
先生に褒められるフレーズも時々あったりして
少し楽しくなってきました。
アドリブを書くようになってから
今までなんとなく避けて来た
コード(和音)のこと
リズムのことなどを
深く考えるようになってきました。
なるほどなぁ。
今までみんなが言っていたのはそういう意味だったのか・・・
と今更納得した事もたくさんあります。
アドリブとは即興
譜面に書いてしまっては即興とは言えません。
でもこれはかっこいい即興演奏ができるようになるための
訓練なのです。
それも非常に有効な訓練だと私は思います。
音使い、リズムの次は
1曲の中でいかにメリハリをつけていくか
譜面上でメリハリをつけて書いても
弾き方が平坦であっては
ただ譜面をなぞっているだけ。
意味がありません。
そして次の宿題は難関のバラード。
また厳しいレッスンになりそうです。(武者震い)
今回のレッスンまでに
3曲のソロを書くという宿題が出ていました。
すべてやり終えて
「さあ、今日は完璧」
と意気揚々とレッスン場所のスタジをへ向かいました。
そしてレッスンの内容は…
まず1曲目
テーマとソロの弾き方を細かく指導して頂きました。
八分音符の切り方
四分休符の感じ方
そして「ハワイアン」の時に習った音の抜き方等々
あっという間に時間がたってしまい
残りの宿題はそのままペンディングとなりました。
宿題をスイスイ弾いて
「よくできました!」
という言葉を期待していなかったと言えば嘘になります。
「他の2曲もせっかくやってきたのになあ…」
とも思いましたが
レッスンとは褒めてもらうために受けるものではありません。
限られた時間の中でいかに多くの事を知る事ができるか。
自分では気づけない癖を直してもらう
なかなか知り得ないコツを教えてもらう
先生の演奏を間近で聴く
・・・
一つ一つが
宝物のよう。
そしてこれらがじわじわ効いて来て
結果が出る事は
既に身を以てわかっているのです。
「何の為にレッスンを受けているんだろう?」
「子どもじゃあるまいしこんなにやる必要あるの?」
とやめたくなった時期もありました。
でも結果が出始めるともうやめられません。
次はどんなことをやるのかしら?
学びに終わりはありません。
ジャズバイオリンレッスン
アドリブを書く宿題は
今回で6曲目です。
一つ作るごとに
かかる時間が少しずつ減ってきました。
直される箇所も
最初は
「全とっかえ!」
だったのが
「ここの8小節だけもう一度」
とか
「この音はおかしいから変更したほうがいいかも」
と言う風になってきました。
書いたはいいけれど
指使いが複雑すぎて使えないとか
弾き方がスイングしないとか
課題は増えるばかり。
そして気づいた事があります。
どうしても譜面を読んでしまうのです。
自分の書いた物ではあるけれど
一旦紙に書かれてしまうと
それは譜面となってしまう。
8文音符が8つあると
「タカタカタカタカ」
弾いてしまうのです。
私の中では
「ウーダウーダウーダウー ダ」
のつもりなのに。
アドリブソロとして一旦譜面にしたとしても
一通り弾けるようになったら
あとはそれをどこかに隠してしまおう。
「思いがけずかつて作ったフレーズを弾いてしまった!」
という瞬間が来るのを待つしかないのです。
そしてそんなフレーズはほんの1つか2つ
何ヶ月、何年後か
いつ出てくるかはお楽しみ・・・
だからやめられないのです!
ジャズバイオリンのレッスン
かなり厳しく鍛えてもらっています。
音程、リズム、スイング、メロディの弾き方、アドリブ・・
最近になって「成果が出てきた!」
と感じる事が少し増えてきましたが
レッスンに行くと
また次の課題が見えて来て
いつまでたっても
前に進んだ気がしません。
友人にそんな話をしていると
「日本刀って
何度も何度も熱して叩いてを繰り返して作るでしょう?
あれと同じだよ」
と言うのです。
友人いわく
「家庭で使う包丁」
「板前さんの使う包丁」
「日本刀」
それぞれ同じ刃物ではあるけれど
日本刀はこれでもかというほど
延々と「熱して叩く」を繰り返す。
まさに
「鉄は熱いうちに打て」
そうすることによって
鉄の密度が高くなりどんどん強度を増すらしいのです。
そして柔軟性がありながらも強靭な
そして美しい刃になっていく。
「レッスンもそう。」
友人は言います。
「なんとか家庭の包丁にはなったとしよう。
でも次の柳刃包丁になるには
『トマトが切れる!』
と喜んでいる暇はない。
まだ熱いうちに鍛えなければならないでしょう?」
なるほど!
さらに友人は続けます。
「柳刃包丁になったらもういいかなと思うかもしれない。
でもさらに日本刀になるためには
もっと厳しい気の遠くなるような鍛錬が待っているのよ」
そうか
厳しいレッスンは鍛冶のようなもの。
先生は刀鍛冶
私はまだまだ鉄のかたまり
「もう家庭用包丁でいいです」
と言いたくなる時もあるけれど
素晴らしい日本刀になるには叩かれてなんぼ!
なのです。
またまた課題が山積みとなりました。
2週間に1度のレッスン
課題になんとかしがみついて
先生に見てもらうのですが
そこからまた細かい枝葉のように
課題が出てくるのです。
Aという課題があるとすると
そこから
a,b,c,d…
Bという課題から
a,b,c,d…
という具合です。
具体的な練習の仕方も教えてもらえるので
その課題の半分ぐらいまでは
努力でなんとかなります。
でも
家やレッスンで弾くときになんとかなっても
本番で弾けなければ意味はありません。
後の半分は
現場でどこまで練習の成果を出せるかということです。
ここから先は先生にも教えてもらえません。
家でどんなに練習を積んでも
これは
「畳の上の水練」なのです。
畳の上で泳ぐ練習を100時間しても
水の中で泳げなければ意味はない。
現場に出たら一人でそこに立たなければならないのです。
レッスンの厳しさなんて比ではありませんね。
ジャズバイオリンのレッスン
大人のレッスンですが
先生は大変厳しい。
子どもの頃習っていた先生も
厳しくて
何度もやめたいと母に訴えました。
今は自分の意思で決めて受けているレッスンです。
いつものようにレッスンが終わり
「先生、宿題は?」
と尋ねると
「これでもう教える事は全部教えたので
僕のレッスンは卒業でいいと思います。」
「え?急にそんな」
「これからは中村さんがアドバイス欲しい事や
困っている事があれば教えます。」
卒業といっても
全部できるようになったからでは勿論なくて
これからは自分で階段を上りなさいと言う事。
今までは先生が上り方を教えてくれていました。
たまには手を引き
背中を押してくれていました。
「上り方は教えたよ。途中困ったら相談してね」
ということなのです。
やっと最初の踊り場に来ただけ。
困る事なんてきっと山ほどあるのだろうから
これからもお世話になります。
ジャズバイオリンの先生に
「もう卒業でいいんじゃない?」
といわれて
思わず
「でもまだ定期的にレッスンしてください」
と次の予約をしたものの
「これってただ不安なだけ?」
と思い始めました。
今私が必要としている知識、技術は一通り教えて頂いたのだから
ここでやはり一度は一人で立ってみるべきかな・・・
友人がそんな私にしてくれた話です。
車の教習所に通っているとき
免許を取るまでは
いつも先生が隣に座って
「はい、左確認して〜」
「ブレーキもっと早く踏んで〜」
などと言ってくれるので
安心して運転していたけれど
いざ免許獲得して大喜びで運転席に乗ると
先生はもうおらず
自分一人であることに
「ああ怖い!でもこれからは一人なんだ!」
と思ったと。
いつまでも頼っていてはいられない。
困難や疑問にぶつかって
困ったとき
新しい事に挑戦したくて
アドバイスが欲しいとき
そんなときにまた
教えを請う事もできる訳だから。
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随分前のレッスンでの課題曲
「You go to my head」(忘れられぬ君 1938年)
それまで全く知らなかった曲です。
コード進行がめまぐるしく変わるので
その練習のために
課題として出されたのですが
最初はなんだか難しくて
その上たまにGbという苦手なキーが出てくるので
大変でした。
でも弾いているうちに
「いい曲だなぁ」としみじみ思うようになりました。
自分では
やってみようとは思わなかったであろう曲も
取り組むうちに
その魅力にはまる事があるのです。
まだまだ出会っていない曲が
星の数ほどあるのでしょう。
とにかく聴かなければ
前に進みません!
自転車をこぐとき(電動ではないもの)
最初はとても重いです。
こぎ続けて
車輪が 回り始めると軽くなって
そのうち
そんなに頑張ってこ足を動かさなくても
進むようになります。
ジャズバイオリンのレッスンも
思い返せばそれと同じでした。
最初は
頑張っているはずなのに
どんなに力を入れてもほんの少ししか動きません。
本当に動いているのかさえ疑問でした。
完璧!と思ってレッスンに行くと
あれ、できない。
「家ではできたんですけど・・」
言い訳する私に
「みんなそう言います」
さらっと言う先生。
そんな悲しいレッスンは自転車で言えば坂道です。
やっと動き出しても
少しさぼるとすぐに止まってしまいます。
それどころか
逆回転して坂道を転げ落ちてしまいそうになります。
とにかく
なんとか落ちないように 頑張っていると
ふと気づくと
「あれ?力を抜いても落ちない」
「こがなくても前に進む!」
という状態になっていることに気づきます。
最初は毎週だったレッスンも
隔週になり
月一回にになり
最後は
先生とセッションをして
そのあとアドバイスを貰う
と言う形になりました。
今も昔も
「継続が大事」
ということなんですね。
継続しているうちに
いつの間にかできるようになるのです。
でもここで休んでしまうとまた止まります。
それは怖い!
そうなれば
また最初の重たい自転車をこぐことになる。
止まらないよう
落ちないよう
こぎ続けるのです。